まず、大前提から…子どもって親よりあらゆる面で劣っていて当たり前です…本当に劣っているかどうかは別にして、劣っているように見えて当たり前と言った方がイイのかもしれません。当然、親はわが子の成長を願っています。だから、悪いところを見つけたら…気になります…指摘します…注意します…叱ります。
でも、チョッと待って下さい!こんな言葉を常々お子さんに向けておられませんか?
どうして、こんなことがちゃんとできないの?
どうして、こんなことが分かんないの?
どうして、同じ間違いを繰り返すの?
どうして、お母さん(お父さん)の言うことが聞けないの?
などなど…
子どもに限らず、人が成長するためには「自分で考え…自分で判断し…自分で行動し…自分で反省する」ことが必要です。親や先生が所謂“過干渉”になり過ぎると、この「自分で…」の部分が欠落します。親として先生として子どもの足りないところやイケないところに気が付くことは大切です。しかし、スグにそれをそのものズバリ全部言ってしまうと自分で考えたり判断したり反省する機会を失います。もちろん、子どもにとって親や先生が自分のことを見ている、理解している、分かってくれているということを伝えることは悪いことではありません。むしろ必要なことです。しかし、それは指摘や質問攻めにすることは全く違います。
仕事に置き換えると分かりやすいかもしれません。新入社員や後輩が、上司や先輩に朝から晩まで監視され、何から何までこまごまと注意されたり指摘されたり怒鳴られたりしたらどうなってしまうでしょう?仕事を覚えるどころか会社を辞めちゃうかもしれません。
金八先生じゃありませんが…『親』という字のパーツをバラバラにして並べると「木の上に立って見守る」となります。
子どもと同じ目線に並んで…ひっついて回って…何から何まで質問攻めや叱責攻めにするのが親の役割じゃないよ!と、先人たちが漢字という文字を通して後世の私たちに教えてくれているような気がします。