■隣接語■

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年のせいか?最近、若い大人たちの「無責任」な振る舞いに頭を抱えることが度々あります。こういう若い大人たちはきっと「自由」と「無責任」の区別がつかないんだろうなぁ…と思ったりします。

「区別」といえば、この言葉にも紙一重の似たような言葉があります…そう「差別」です。学校で学級の代表を決めたり、幼稚園のお遊戯会で主役を決めたりすることは「差別」ではありません。これは単なる「区別」というのです。これを「差別」と勘違いして声高にモノ申す○○親がいるものだから先生方も困るはずです。もちろん、この「差別」と「区別」の間違いを理路整然と筋道を通して説明できない教育現場にも些か問題を感じはしますが…。

少々勝手ではありますが、このように「自由」と「無責任」、「区別」と「差別」の様な似通った言葉…でも実は意味が全く違う言葉同士を“隣接語”と称することにします。他にどんな隣接語があるか?!

例えば…「叱る」と「怒る」。これも隣接語でしょう。子どもたちを教育するときに褒めるばかりではことを成し得ません。ときには厳しく指導することが必要です。そんなときに心がけて欲しいことが「叱る」と「怒る」の違いです。「叱る」ということは、まず自分自身が冷静な状態であること。つまり、客観的に自分と相手が見えている状態をいいます。さらに、叱った結果の展開まで予想できていなければ「叱る」とは言えません。逆に「怒る」とは感情的、かつ精神的に前後不覚に陥った状態です。これでは子どもたちは決して指導者の言うことを理解も納得もしないでしょう。みなさん!キチンと叱ることができる大人になろうではありませんか。

最後に、もうひとつ…「要望」と「我儘」。これも境界線が曖昧になっている隣接語です。双方の見解にもよりますが、「要望」を言ったり聞いたりすることは良い関係が保てているといえます。逆に「我儘」を言ったり聞きいれたりする関係は長続きがしませんしハッキリ申し上げて良くない関係です。親と子、学校と家庭、もちろん家庭と塾も同じこと…「我儘」でなく「要望」や意見が言い合える理性的な間柄でなければならないと常日頃から思っています。

常日頃、何気なく使っている曖昧な言葉…隣接語。たまにはこんなこともお子さんと話題にしてみては如何でしょう?


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